日本都市社会学会第28大会(日本大学文理学部)


公開シンポジウム(9月12日 13:00~16:00 図書館3階 オーバルホール

 


歩く・見る・聞く・撮る・魅せる 都市の映像社会学


―映像フィールドワークと都市社会学―

 

 

<趣旨説明>

映像で記録する/映像を資料とする/映像で考える/映像で表現する調査研究の手法が、今改めて 注目されるようになっている。しかし、都市社会学の領域では、映像フィールドワークの実践や映像を 用いた研究は、従来あまり積極的に行われてこなかった。そこで、本シンポジウムは、都市社会学研究 に映像的方法/映像フィールドワークがどの程度有用性を持ち得るのかを実際の映像作品を通して探究 し、調査研究の新たな可能性を拓くことを目指すものである。映像フィールドワークの手法とは一体ど のようなものであり、またどのような豊かさを有しているのか。都市社会学の内部に「映像フィールド ワーク」「映像的手法」をどのように埋め込んでいったら、「都市社会学の豊穣」をもたらすのか、な どについて議論したい。なお、ここで言う「映像フィールドワーク」は、写真(静止画)ではなく主に ビデオ(動画)を使ったものを念頭に置いている。

(前号ニュースに掲載したシンポの趣旨と概要の抜粋)

 

1.調査データの多様化と映像都市社会学 倉沢 進(東京都立大学名誉教授)

シンポ当日は『都市と人間』第4回「シエナ―祝祭と地域住民組織」の一部を上映し、討論の素材 とするので、ここでは社会調査データについての私の考えを述べて置く。

社会学は世論調査、統計的分析手法に立脚して、標準化調査を主要な方法としてきた。標準化調査 とは、調査企画者が自ら作成した質問紙を用いてすべての回答者(標本)に同一の質問、同一の選択肢 で回答を集め、結果を統計的に分析するものである。経済学者が普通は自らこのような調査を行わず、 各種の既存統計を利用して分析を行うのと好対象をなす。それは社会学的変数の多くが既存統計の形で 収集整理されていないなどの事情を反映するもので、それなりの合理的理由を持つが、現在2つの面か ら挑戦を受けている。

第1は、生活様式の変化、個人情報への敏感など、調査環境の悪化である。最近の多くの調査の有 効回答比率は60%程度であろう。この60%と調査不能票40%の回答とが一致するとは考えにく い。有意差検定など統計的手法の有効性は根底から揺らいでいる。

第2はいっそう根源的な問題である。質問の内容が属性項目を除き多くの場合意識態度項目に限定 される。質問は個々の回答者にとって異なった意味--重みを持っており、多くの回答者にとって回答 は朝聞くか午後聞くかでも変動する可能性をもつ。デュルケムの自殺論を考えると、彼が自殺率を社会 的事実 fait socialと呼んだことが想起される。自殺は人生上のきわめて重大な決定であり、自殺比率は fait socialと呼ぶに相応しい重要 性を持つということである。

この二つの挑戦は、調査データの多様化を要請する。私が取組んできた東京の社会地区分析は、こ の反省の一環でもある。居住地選択の重さは自殺に比べれば軽いが、紅茶を選ぶかコーヒーを選ぶか に比べればかなり重い選択・決断であろう。何百万、何千万のこのような決断、そしてそれを可能にす る社会的資源の制約が、地域の性格を決定する。人が土地を選び、土地が人をふるい分ける--sort and sift の過程は、まさにfait social と呼ぶに相応しいのではないか。私はシカゴ学派の人々の社会地 区分析の意義をこのように理解し、新しい手法を開発しつつ、この研究に取り組んできた。

6映像社会学との関連で言えば、両者は共に言語化されたデータではなく、視覚に直接訴える方法と いう共通点を持っている。言語化されない、しかし視覚化されるデータへの注目ということである。同 時にこの両者には重要な相違がある。

それは標準化調査とのかかわりである。社会地区分析は標準化調査のひとつのヴァージョンであ る。主流の標準化調査の母集団は、個人を単位にしている。社会地区分析においては500mメッシュ であったり、市区町村であったりするが、何らかの空間単位を設定し、すべての単位に共通の指標値 を収集し、統計的に分析する。その点では、分析手法は標準化調査に準じている。ただし地区を分析 単位とするため一般の標準化調査と異なり、倉沢が新たに開発したKS法クラスター分析の手法が用 いられたことが相違点である。なお調査単位が母集団全数調査であるから、第1の挑戦はクリアして いる。

映像社会学の場合、現在のところ標準化手法とのかかわりは無いと言ってよい。そもそもそれが必 要か、可能かの議論があろう。山中さんの、映像をさまざまな立場の人々に解読させると言う手法 は、標準化調査の方法論を離れて、信頼性・妥当性を獲得する一つの方法と言えるかもしれない。これ らは映像の撮影主体、提示される主体の問題などと共に、シンポ当日深められるべき論点であろう。

 

 

2.大阪生野コリアタウンの映像記録の方法と実際  ―映像フィールドワークのこころみ― 山中速人(関西学院大学)

フィールドワークに映像技術をいかに導入するかについて、これまで行ったいくつかの試みの中 で、防振ステディカムを利用した地域景観のシームレスな映像記録とその読み取りについて報告した い。事例として、大阪市生野区コリアタウンの映像による記録研究を取り上げる。

コリアタウン(御幸森商店街)は、かつては朝鮮市場と呼ばれ、その周辺地域は、特に在日コリア ンの集住地域である。この地域は、かつて猪飼野と呼ばれ、近代においては、日本の朝鮮植民地支配 の中で、韓国・済州島などから多くのコリアンが、同地区を流れる平野川の改修工事に動員され、集 住した地域である。

ここで採用した映像による地域社会の記録の方法は、移動カメラによって街頭景観をシームレスに 撮影する方法である。つまり(1)対象とする地域社会のすべての街路(路地や幹線道を含む)を対象と し、(2)ビデオカメラにワイドレンズと防振ステディカムを装着して、(3)対象とする街頭景観を連続撮 影することで、撮影における恣意的なフレーム構成と編集を排除した。

この試みの意義は、追撮影が可能な機械的基準を設けることにあった。社会調査において,構造化 面接調査法を用いて調査過程の標準化を行うのと同様に、機械的でシームレスな撮影法を用いること で、データ収集の標準化を行おうとしたのである。

このような方法をもちいて、1990年に、第1回目の撮影が行われ、2007~10年に、同じ方法で再撮 影が行われ、比較研究が実施された。

映像による記録を試みたもうひとつの理由は、映像の読み取り作業に住民当事者や他領域の専門家 の参加を求めるためであった。多様な読み手の視覚を交差させることで、地域社会のもつ多文化で多義 的な特性を1つの映像データの上に多声的に共存させる可能性を開こうとしたのである。

報告をとおして、映像を利用したフィールドワークの方法の具体的事例を示したいと考えるととも に、記録のための映像が表現のための映像とどのような点について異なっているか、整理を試みたい。